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目次
ミルが亡くなってからのこと
3日後の12月23日、ミルの一周忌を前に、ミルが亡くなってからの事(気持ちの変化など)を書いておこうと思う。
YouTubeのコミュニティの投稿で動画にすると言ったまま、全然アップ出来てなくて「するする詐欺」になっていた…
ミルが亡くなった直後~半年近く
ミルが昨年の12月23日に亡くなり、2日後の25日に荼毘にふされた時、私はミルが骨で出てくる所など見たくなくて(認められなくて)車内で一人待つことに。
「ミルに置いていかれる、死ななくちゃ」
斎場は大通り沿い。トラックの前に飛び込めばいい。
そう思ったが、ミルが出てきたその場が大惨事になっていたら可哀想。誰がミルの35日や100日を迎えてやるの?
そう思いとどまった。
そしてミルが小さな骨壺になって戻ってきた時、
「これからはミル(骨壺)と一緒にどこへでも行ける」そう思ったら少しだけ嬉しかった。
そんな風に直後はまだ良かったが、少し経った1月はミルが亡くなった事を実感する日々。ミルが居ない時間がどんどん増えていく。何をしていても悲しくて苦しくて泣いてばかりいた。
そしたら耳に不調が出てしまい、1月2月は地元と大学病院の耳鼻科で3人の医師に診てもらい検査もした。聴力や耳管には問題はなかったが、耳管開放症の症状。
ミルに会いたい、そして絶望
なんとかしてミルに会いたい
それが無理ならクローンでもいいと調べる始末。すぐに制作は無理だと知る(遺骨ではなく皮膚がいる為)
こんな事書いているが、私は現実主義だ。
天国も地獄も、ましてや虹の橋などない、全て人間の空想の産物である。空にいるわけでもないし、毛皮を着替えて再び現れたりもしない。
なのに「ミルにどうしても会いたい」それだけが望みだった。しかしどんなに願っても死んだ者は生き返らない。
そうして私は絶望した。
ミルが居ない世界をどう生きていっていいかわからなくて苦しくて仕方なかった。それでも死ねない限り、苦しいまま生きていくしかないと思った。
でももう限界だ。
よくここまで耐えたと思う。もういいかな……そんな息も絶え絶えだった6月のある日。
6月、目に留まった画像で気づいたこと
6月のある日。
過去の画像が入った、USBメモリーやDVDを整理していた時、ある画像に目が留まった。
それは、キッチンのリフォーム中、ミルが現場監督している画像や、リフォームが完成したキッチンの画像。それだけじゃない、私が生まれる前から建っていた門(と離れ)を壊して建て直した駐車場でコロンコロンするミルの姿。同じくリフォームした浴室に入りこんで写ってるミル。
それぞれ数年~10年ほど経ち、今はどれもこれも新品では無くなったけど、写真に写るそれらは完成直後で綺麗でピカピカ。
と同時にはっとした。
物でさえこうして劣化して朽ちていくんだ。命ある者なら尚更。ミルだって例外じゃない。自然の摂理なんだって。
仏教の教えにある『諸行無常』如何なるものも、何時までもそのままというものは一つもない。
全くその通りだ。ミルだけ不老不死なわけがない。
乳がんに罹患し、手術に放射線、そしてホルモン治療をしながら、3ヶ月毎の経過観察。再発転移におびえ、死と隣合わせの数年前なら、ミルの死もすんなり受け止めることが出来ただろう。なのに今はすっかり『あちらの人』から『こちらの人』
『枯れ果てた』そう表現してもおかしくないほど、痩せこけ軽くなったミル。最後の最後まで生きたんだよね。それを私が受け止めてやらなくてどうする。
そう気づいたら、苦しさが少し軽くなった。
悲しみ方は人生そのもの
ミルは空にも虹の橋にもいない。リン酸カルシウムの骨になって今もずっとここにいる。
この骨がミルそのもの。それは変わらない。
仕方がないにしてももちろん悲しい。今でも、ミルがいないなら「死にたい」そう心の中でつぶやく日もあるけれど、それでもミルが亡くなった直後とは少し違う、それが今の私の気持ちだ。
それに、私が泣き暮らしていた今年の初め頃、ずっと私を見ていてくれる人に「お前は今抱えてるミル以外の悲しみも集約して、ミルの悲しみとして捉えているように見える」と言われたことがある。
それも少しはあるのかも。
そう、「悲しみ方はその人の人生そのもの」。それはまた別の時にでも。
※記事と動画同時にアップ出来ませんでした。また動画作成したらここ(記事の最後)に載せます。
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感情がこもっているのに非常に冷静で、伝えたい事がきちんと集約されていて
とても胸を打ちました。ミルちゃんを思う気持ち、自分の心の
客観的把握が的確で読む人に伝わって来ます。
「悲しみ方はその人の人生そのもの」素晴らしいですね。
kiccaさんの人となりがにじみ出た魅力的な文章で、読み返しました。
お体の不調の部分では共感した所もあります。
父が亡くなった後、ずっと泣き暮らしていたのですが
ある日、激しく泣いた後いきなりすごい耳鳴りに襲われ
それが半年ほど続きました。
徐々に音は小さくなりましたが、今でも左に耳鳴りは残り、
体調が悪かったりすると大きくなります。
あの恐怖が染みついているので、も~ちゃんを思って泣く時も
これ以上泣いたらあの耳鳴りが!と思いブレーキがかかります。
悲しみの予行演習を父がさせてくれたのかな?と思う事も…💦
私はね、少し理想主義です。
父が亡くなってしばらくして、初めて夢に出て来てくれた時
夢から覚めた後、とても暖かいものに包まれ、
強いエネルギーを感じたのです。父が来てくれたのだなと思いました。
それから、も~ちゃんが亡くなった後、ずっと喉に何かつかえている
感覚が有って苦しんでいた頃、ヨガの先生からお寺で行うヨガレッスンに
誘われ参加した夜、も~ちゃんが夢に出て来て
「ママお喉にこんなの詰まってたよ。これじゃ苦しいはずだよね」
と言って、喉からプラスティックの板を出してきたのです。
夢の中ではも~ちゃんがお喉からプラスティックを取り出していたのですが
これって今の私の体の状態だ…って気が付いて…。
も~ちゃんが取り除いてくれたんだなって感じました。
ちなみに私は霊感ゼロの人間です💦
それでもお供えしているお花が枯れて来ると涙の量が増えるのは
も~ちゃんが悲しんでいるんだろうなって感じたりするので
やっぱり何かあるんだろうなと言う気はしています。
日々漫然と暮らしています。
最近は、あの世でも~ちゃんに会える日
(会えると思ってます(#^.^#) )にまた近づいたと考えたりします。
勿体無い人生の時間の使い方かもしれないけれど
それで良いかな~。
長文コメントすみません。
いつも自分の事ばかり書いちゃう…ごめんなさい。
歌姫さん
コメントありがとうございます!
私も今でも泣くと耳の閉塞感が出るので、
遠慮しながら泣いています。
耳は血流が悪いと不調が出るので、ストレスはてき面ですよね(;^_^A
歌姫さんのお父さんやも~ちゃんのエピソードは
まさしく御本人の捉え方が現れていますよね。
潜在意識で見ているものですから夢は。
私の場合、人格形成期のトラウマが不安神経症の原因に
身内の裏切りがきっかけで発症した過去があり
全て精神医学で説明がつくとわかった時、現実主義にかわりました。
現実は変わりないです。どうとらえるかはその人の自由。
あ、それと!勿体ない人生についてですけど、
なにも有意義な人生を送らなければいけないなんて
ないと思うんですよ。
どんな人生でもその人の人生です。私はそう思っています。
お返事ありがとうございます。
記事内の<諸行無常>という言葉を繰り返し考えていたら
すとんと腑に落ちました。非常に大きな意味をもたらしてくれました。
ありがとうございます。
<どんな人生でもその人の人生です。>この言葉もありがたかったです。
精神医学で説明がつくとわかるまでには色々とお勉強なさったのでしょうね。
私もあれこれ読んだりしていますが、未だ道半ばです。
※泣くと本当に耳に来ますよね💦
歌姫さん
こんばんは!
諸行無常….死ぬのはミルだけじゃないんですよね
悲しんでる私も死ぬんだな~って。
たまたま出会った時期によってミルが先なだけですよね。
精神医学うんぬんは、治療過程で原因を探るにあたって
医師から聞かされたことですけどね
自分の身にそんなことが起こってるとは、と衝撃でしたが。
(探ると言っても、医学的にはとうの昔からわかってることです)
さて、日付が変わりました。ミルの一周忌です。